2005-04-28から1日間の記事一覧

独裁政治の仕組み

総理特命の「政策課題」を、外部学識経験者等で組織する「諮問委員会」・「調査会」・「審議会」に付託することで、実質国会論議が形骸化して「首相独裁」の道を拓いたこと。これがその後、政府・与党の効率的手段として定着した。 議会政治には「時間が掛り…

「民営化」の流れ

鈴木内閣当時、中曽根氏は行政管理庁長官として「臨調、会長土光敏夫氏」と共に国鉄分割民営化で手腕を発揮し、目途をつけ、大方の国民から絶賛された。更に電電・専売についても課題とした。これらが国民の評価を高め、総理に推戴され平成9年4月29日には「…

日本の恒久的「アメリカ基地化」

「日本列島をアメリカの基地化」構想は、実質的に日本をアメリカの支配下においてよい、との表示と受け取られてしまった。その事が「対米一辺倒」で、「自立性を失ってしまった」現在の日本の混迷とどう関係するのか正確には読めないが、少なくとも将来「売…

審議会方式で国会空洞化

首相「行革大綱」決定、「71法人整理」方針(5・24)、「国有地有効利用方策」を大蔵省に指示(6・8)、これがこの後地価高騰の引き金となったものだ。首相の私的諮問機関「教育問題審議会」発足(6・14)臨時教育審議会設置(8・21)、以降、この内閣は諮問会…

日本列島「アメリカ基地化」

続いて、一週間後の昭和58年1月17日、同盟国アメリカに飛んで、レーガン大統領に会って「日米運命共同体」と発言、同時にアメリカにとって日本列島は「不沈空母」と表現した。 多分、中曽根氏らしい初対面での「リップサービス」の積もりだったに違いない。 …

田中曽根内閣発足

田中−三木−福田―大平―鈴木と続いて来た自民党政治は、昭和57年(1982年)11月、中曽根康弘氏がその政権に就いた。この内閣は発足当初、時の政界キングメーカー田中角栄氏の推挙で最高権力者の座に就いた、その経緯から世間では「田中曽根内閣」と呼んだ。 さ…