政治が行政に関与するのは「タブー」だった時代


荒船清十郎と言う政治家がいた。埼玉県選出の男らしい剛毅な気性の政治家で佐藤内閣当時、初めて運輸大臣に就任し、地元深谷市国鉄急行の停車することを画策し、彼の政治力で実現した。然し、そのことが「政治家の職権乱用」として問題になり、大臣を辞任した事件である、昭和41年のことである。


国会議員が具体的特定の行政に関与する事は「禁じ手」の意識は、当時の国民・政治家の間でも常識だったのである。それが「田中以降」崩れて来た。政治家の「票集めの手段」となり、更には「金集めの手段」にまでなった。