暑い日の思い出


先ず、自分達戦中派にとって、この暑い季節には、どうしても無意識の内に60年前のあの日―8月15日前後を思い出してしまう。あの日も本当に暑い日であった。


「日本敗戦」は、「神国の必勝」を信じていた我々軍国少年にとって実に衝撃的事実であった。あの時の衝撃と虚脱状況は60年後の今日でも当時の暑さと共に瞬時も忘れる事が出来ないものだ。


実は自分は敗戦から6年余り経った昭和27年に田舎を離れて勤務先の銀行の転勤で初めて東京に出て来た。


銀座や日本橋は、表通りはすっかり大都会風になっていたが、一歩表通りを入るとバラックや掘っ立て小屋でとても今から思い出してもお粗末なものだった。


まして郊外ともなると戦災の傷跡が癒えず無残なものだった。寮が新宿に近い代々木だったが付近には瓦礫の山が所々に無残な姿を曝していた。


廃墟の撤去作業には「もっこ」と「シャベル」が主役で、少ししてから「一輪車」なる代物が出てきて、その近代性に目を丸くしていた。