藤田嗣治展に見る「戦争画」

okamakoto2006-05-06



先日、大手町の国立博物館で「伝説の画家」と称される藤田嗣治氏(1886―1968)の生誕120年記念遺作展示会を見て来た、出展作品は藤田氏20歳代のパリ―時代から年代順に約百点であった。


初期、パリ―時代の作品は裸婦画が多く、正直、失望していたのだが、後半で、氏が第二次大戦中従軍画家として画いた「戦争画」には心を打たれ、立ちすくんで見入った。


戦争画は、日米戦争たけなわの昭和17年画の「シンガポール最後の日」、18年「アッッ島玉砕」、19年「神兵の救出」20年「血戦ガダルカナル」「サイパン最後の日」、戦争画では以上5点であった。


これらの戦争画は敗戦直後、進駐して来たアメリカ占領軍に接収されていたと説明書には書いてあった。日本人の反米感情を煽るから、との主旨だったようだが、むしろ戦争のむごさを描き出した「非戦」を訴える作品だと感じた。


キャンバス全体が暗い色調の中で、日本兵が振りかざす「刃の白」が何とも言えぬ不気味な凄みを出している。人を刺殺する瞬間の人間像は正に狂人そのものである。


刃やピストルの先には死の恐怖におののく同胞や島民、怯える米兵らしき人物が画かれ、さながら地獄絵図である、これこそが戦争の実装と言えるものだ。


シンガポール最後の日」では、「死に瀕する我が戦友を、他の兵隊が抱き上げながら、今にも陥落せんとするシンガポール最後の日をこの世のみ納めにせんとする姿だ」、と藤田氏自身が記している。 


戦後、藤田画伯はこれらの絵を画いた事で戦争協力者として画壇から批判を受け、日本に嫌気をさし、再度フランスに渡り、フランスで生涯を過ごしたと聞くが、むしろ狂気の戦争そのものを画き切ったものと感じた。