「国家」とは何だろう

okamakoto2006-05-09



「国を愛する心」が教育基本法に明記され、学校教育で「愛国心」が強調されそうな雲行きだ、元々「愛する」とか「愛されたい」と言うのは、主観的な心の問題であって、強制されたり押し付けられたりするものではないのだろう。


まして国家が「愛して欲しい」と言いいたげな表現は「主客転倒」と言わざるを得ない。「国民あっての国家」で、決して「国があって」その下に個人があるのではない、一人一人の民が良いと思うからの国家であろう。


この頃我々のように戦争を体験した世代もめっきり少なくなって、「昭和も遠くなりにけり」だが、この国が、よもや再び戦争をやる国にはならないと信じていたのに、それが怪しくなって来たように感じている。


それは具体的にマスコミを通じ報じられる国会での憲法改正論議とか、教育基本法の改正問題のような政治的動きもあるが、社会一般の「空気」や「風潮」に危険な予兆を感じるからである。


思い返して見て、昭和初年もそうであった、一般国民にとって「あれあれ」と言う間もなく戦争になり、「勝った勝った」が何時の間にか「鬼畜米英」「打ちてし止まむ」、と連呼している内に気付いた時には「奈落の底」に落ちていた。