「戦死」が、実際は「補給もなく餓死」

okamakoto2006-07-20



太平洋戦争では日本軍の戦死者は230万人だった、勿論、アメリカ軍との戦闘で亡くなった方もあるが、約6割(130万人)の方は弾薬・食料の補給もなく、餓死に等しい状態と言う。(一橋大藤原彰氏「餓死した英霊達」


私の義兄(長姉の夫)も、敗戦前年の昭和29年9月3日に「ニューギニア」で戦死している。戦死公報では「激戦で栄誉ある戦死を遂げた」とあったそうだ。


然し、遺児に当る姪が数年前に慰霊の為現地に赴き、亡き父の戦死した場所付近で香を焚き読経をして来た、奇跡的に生き残った方の聞き取りで案内された場所はジャングルの真っ只中で、前人未到の地だったと言う。


当時はアメリカ軍の補給路遮断策の中を部隊はジャングル越えの長距離移動となり、食料や弾薬の補給も届かず、部隊は飢餓とマラリアで、殆ど全滅に近い状態だったと言う。


ニューギニアでは厚生省発表で12万7千6百人が戦死している、藤原教授によれば、その内9割以上が陸の孤島で実質的に見捨てられ、餓死したと推計されている。


義兄は陸士出身の中尉だった、出征前に一・二度だったが子供心に言葉を交わし、心を打たれた記憶がある、「キリッ」とした軍服姿で今思っても実に頼もしく素晴らしい男性だった。