開戦不可避


「翌日(1941年11月30日)、高松宮が昨日の様子を聞きに来た、そして「今この機会を失すると、戦争は到底抑え切れぬ。12月1日から海軍は戦闘展開をするが、既にそうなったら抑える事は出来ない」との意見を述べた。」


「戦争の見通しについても話し合ったが、宮の言葉によると統帥部の予想は五分五分の無勝負か、うまく行っても、六分四分で辛うじて勝てると言う所だそうである。私は負けはせぬかと思うと述べた。」


「宮は、それなら今止めてはどうかと言うから、私は立憲国の君主としては、政府と統帥部の一致した意見は認めねばならぬ、若し認めなければ、東條は辞職し、大きな「クーデター」が起り、却って滅茶苦茶な戦争論が支配的になるだろうと思い、戦争を止める事に付いては返事をしなかった。」


「12月1日に、閣僚と統帥部との合同の御前会議が開かれ、戦争に決定しました。その時は反対しても無駄だと思ったから一言も言わなかった。」