2006-07-31から1日間の記事一覧

敗戦決意

「沖縄戦の敗因は陸海軍作戦の不一致にあると思う、沖縄は本当は3個師団で守るべき所で、私も心配した。梅津(参謀総長)は始め2個師団で充分と思っていたが、後で兵力不足を感じ1個師団を増援に送りたいと思ったときには既に輸送の方法が立たぬと言う状況であ…

戦争指導

「最初米英が「アフリカ」を攻略しよーとする計画の有った時、私は独逸がソビエト戦に重点を置くよりも寧ろ「アフリカ」に重点を置くように勧めたらどうかと、東條に注意を与えた事がある。之を先方に通じたかどうか、大島(駐独大使)の事だからはっきり解らぬ…

開戦不可避

「翌日(1941年11月30日)、高松宮が昨日の様子を聞きに来た、そして「今この機会を失すると、戦争は到底抑え切れぬ。12月1日から海軍は戦闘展開をするが、既にそうなったら抑える事は出来ない」との意見を述べた。」 「戦争の見通しについても話し合ったが、宮の…

東條内閣任命の経緯

「近衛の手記に、東久邇宮を総理大臣に奉戴云々の記事があるが、之は陸軍が推薦したもので、私は皇族が政治の責任者になる事は良くないと思った。」 「尤も、軍が絶対的に平和保持の方針で進むと言うなら、必ずしも拒否すべきではないと考え、木戸をして軍に相談…

対米開戦に際して

「開戦の際、東條内閣の決定を裁可したのは立憲政治下における立憲君主としてやむを得ぬ事である。もしこれが好む所は裁可し、好まざる所は裁可しないとすれば、之は専制政治と何ら異なる所がない。」 「終戦の際は、然しながら、之とは事情を異にし、廟議が…