「三億円事件」


現金支払が原則である「給料・ボーナス」が、一体、何時から銀行振込制が当然視されるようになったのだろうか。過去の銀行勤務時の経験を思い出すと、その切っ掛けになったのは昭和43年暮れの「三億円事件」だったように思う。


東京・府中市郊外でボーナス運搬中の銀行現金輸送車が、「ニセ警察官」に制止され、まんまと「3億円の現金」が奪い去られてしまった。この事件をきっかけに銀行の現金輸送の危険性がクローズアップされた。


当時の全国の銀行・金融機関では企業の給料日前日になると多額の現金を用意せなばならなかった、日銀から多額の現金を引出し、支店では主要取引先企業・事業先への給料袋への袋詰サービスまでやっていた。


勿論、当時「現金輸送車」もなく、日銀代理店からの現金搬送には、若手行員二人一組で「回金」を命ぜられる事もしばしばだった、郡部、郊外支店では列車利用が普通だった。銀行員にとって給料支払日は月末に次いで多忙な日であった。


1950年代が日本の戦後復興期だとすると60年代は日本の発展期だった、急速な経済発展は同時に「アメリカ化」の時代でもあった。銀行の事務合理化策も60年―70年代にかけ急速に進んだように思う。