銀行の合理化策


三億円事件は日本経済がアメリカに次いで世界二位の座を確保した68年(昭和41年)に起きているが、金融界の総合的コンピューター化もこの高度成長の波に乗るように急速に進展したように思う、


各行がこぞって「事務合理化室」や「電子計算課」を設け、銀行が最初に導入したのは初歩的な「パンチカード・システム」「テラーシステム」の類であった。


同時に現金輸送のリスク(危険性)を回避し、事務合理化対策、将来の個人取引拡大策(リテール戦略)として取引先企業の給与振込制度を積極的に推進する事となった。


当時自分達も本部からの指示によって、振込制採用先企業リスト作成し、同時に担当者別に目標を定め、採用先数を競い合った。