「年代の単位」

okamakoto2007-02-28



下田で自分自身、時間感覚の無さと、歴史認識の甘さを認識したのだが、それには過去の我々が「天皇の呼称」や「権力の所在地」を規準として時代認識をしていたからではあるまいか。


歴史を一本の時間軸で考えずに「奈良時代」、「平安時代」、或いは「明治時代」はこうだった、「大正時代」はこのようだった、「昭和」はこうだった、と言うように、大まかに一括りで考えていたように思う。


今年は平成19年であり、既に昭和も「歴史」になりつつある。明治から通算すると既に140年、大正からは96年、昭和では82年となる、然し天皇の呼称で時代を区切っていたから我々にはその間一貫した歴史観が醸成されなかったように思う。


確かにその世代・世代で一区切りにしてみると、その時代には特徴的な意味合いはある、「奈良時代」には中国からの「仏教伝来」があって寺社仏閣に象徴される「天平文化」の華が咲いた。


平安時代」には「古今和歌集」「源氏物語」に代表される優雅な文化の華が咲きほこったのだが、「鎌倉時代」には後世から見て「武士同士の争い」を想起させる、下って「江戸時代」には徳川300年の鎖国時代を連想させる。