下田での感慨


更に思う、アメリカへの真の屈服は、昭和20年(1945年)の「敗戦」と言うより、日本人でありながらアメリカに魂を売った「アメリカかぶれ」の二−三世政治家諸氏に多くの責があるように思えてならない。


歴史とは「旧きをたずね、新しきを知る」事なのだろう、それは過去に於いて起きた様々な事象や祖先が為した功績を評価すると同時に、先人が犯した過ちを再び起さない為に学ぶ事だと思う。


自分達として必要なことは、「過去」を正視する事だろうと思う。必ずしも時間軸として「西暦」に拘泥するのではないが、長期的時間軸で考える事が必要だろうと思っている。


更にそれが世界全体の中で、更に世界史の中でどのような意味を持つものかを認識する事が大事だろうと思う。


一国の興亡を体験して今感じるのは、復興期のエネルギーの猛々しかったのに反し、一旦下り坂に向う時の何と呆気なく儚(はかない)ものであるかを、である。次代を担う若人に歴史から多くのものを学び取って頂く事を願いつつ。



(写真は静岡県伊豆半島下田市の「唐人お吉記念館」)