諸悪の根源か、「給料の振込制」


更に、近年の女性の地位向上に決定的となったのは「給料の銀行口座振込制度」だったように思う、「給料の振込制度」は今や一般的になり、それがさも当たり前のようになっているが、本来的にはそうではない。


本来は「給料」は現金で働いた本人に支払われねばならないものなのだ(今でも労働基準法でその通りに決められている)。


「給料の振込制」は昭和43年暮れに起きた「三億円強奪事件」が契機となったものだが、たまたま銀行の事務合理化方針に合致したのだ。


銀行は現金輸送のリスクや手間が省け、事務・警備輸送等に大鉈(おおなた)を振るう事が出来た、更に合理化を機に「キャッシュレス(現金なし)経済社会」が推進できた。


一方、キャッシュ・カードを持つ妻に家計の采配権も移ってしまった、働く夫は昼食代も何百円と決められ、子供達もお小遣いも母親から貰うものと錯覚してしまった現実が出現した。


同時に「コンピュ―ター化」はグローバルなキャッシュレス社会を可能にし、金融と証券の融合で地球規模の「賭博場」に「一般大衆が誘い込まれる機会」ともなった。


主婦が「証券投資」、「商品投機」、「各種国際先物取引」等々と言う「鉄火場」に誘い込まれ、多くの悲劇を起していると聞く。


然し、安易にパソコンを操り、カードで現金が手に入る銀行のATMが女性に主導権を与え、その事が「ジコチュウ女性」を作った、と感じるのだが、これは云い過ぎだろうか。


「ジコチュウ」とは、「自己中心」と言う意味らしいが、最近の若い世代の女性は更に加えて「金がすべて」の感覚が出来、一般化したように思う、果たしてこの事が女性自身にとっても本当に幸せで良い事だったのだろうか。



(写真は久々に訪れた、発展著しい「JR名古屋駅・新幹線口前広場」風景)

「ババ抜き」から「ジコチュウ」まで


振り返って、敗戦後10年程経った昭和30年代「家庭電化時代」が到来した、電気洗濯機・冷蔵庫・掃除機が「三種の神器」とうたわれた、これら「三種の神器」が女性を一挙に家事から開放させ、意識変化の契機となったように思う。


それまでは少なくとも「掃除」「洗濯」「調理」は主婦の専業とされ、主婦として家庭に縛られていた、女性は厳しい姑や小姑にも教えられ、どんな苦労にも耐えて来ていた。


それが戦後は「民主主義」で、「女性の地位向上」「開放」「男女平等時代」が到来した。厳しさに耐える事もなく、相手を選ぶ決定権も女性側に移った。


「家付き、カー付き、ババ抜き」が流行語となった時代の到来である。その後更に10年ほど経ってテレビ時代となって「3高時代」が幕開けする、「高学歴・高収入・かっこ良さ」でもあったろうか。


テレビ本放送が始り、昭和34年の皇太子ご成婚のパレードは家庭の主婦をテレビに釘付けにしていたように思う。「メロドラマ」、「ヨロメキドラマ」が拍車を掛け、それらは女性の意識を変革した。


戦後、確かに男には厳しい「死と背中合わせの戦場」はなくなったが、それに代る苛酷な戦場が待ち受けていた。それは「冷酷な職場」と言う「戦場」だった、当然の事ながらそこでは家族の生活も懸かる。

「男女の地位逆転」


「隔世の感」と言う言葉があるが、半世紀以上経った現在から見るとその間の事象での変化には目を見張る思いをする事が往々にしてある、特にそれは「男女の意識の変化」に顕著に出ているように思う。


戦争世代は明らかに「男性上位時代」であった。家庭でも世の中でも男性は大事にされ、特別扱いされていたように思う。結婚相手を選ぶ主導権も一般的に女性にはなくて男性側にあったように思う。


当時の女性は親の云うまま、ともすると相手をも見ないで嫁いだ方もあった、ところが近年はどうだろう、選ぶのも女性なら結婚しない選択をして「飛んでる人」もいるとか。現代の「平和時代」の代償なのでもあろう。

「財布を握った」女房達

okamakoto2007-08-21



今年は「無敗を誇った日本」が昭和20年8月15日に「敗戦」を喫してから既に62年目に入った。自分は満州事変の昭和6年に生れ、日米戦争が始った昭和16年には10歳、敗戦は14歳の時であった。


自分達昭和初期の「戦争世代」は、幼い頃から「戦争又戦争」の時代、当然の事として「男は将来兵隊さんになる」として育てられ、「お国のため死ぬもの」と覚悟を決めさせられていたように思う。


実際に我々より2―3歳上の世代までは戦場に狩り出され戦死した人も多かった。小学生当時、召集を受け戦地へ出征する兵士を見送り、先日見送ったばかりの兵士が無言の白木の函となった慰霊式も学校行事として日常的に執り行われていた。

「ヤミ米事件」


ヤミ米事件」と言うのがあった、僅か14年前(1993年・平成5年12月)の事である、富山・婦中の川崎さんが「食管法違反」で警察に検挙された、ところが今や米はスーパーの店頭で銘々の値札付きで積み上がっている。


さてそこで、郷里は保守意識が強く歴代保守系の地盤なのだが、このように産業基盤が崩れ去り、おまけに永年培われて来た「助け合い」「共助」の人間関係も崩壊している現状で、果たして住民の投票行動に変化が出るかどうか。


知人の言うには「保守基盤の変動は簡単ではない」、現に「組織上部の指示」で地域の有力者が保守系候補への集票で締め付けられていて「必死に動いている」、との事であった。


帰路、ある宗教団体の会館前を通った、そこは煌々と灯りが点き、熱心な運動員達の励まし合いの熱気で活気に満ちていたように感じた。


最近の日本の農業政策は20町歩以上耕作農家が対象だと聞く、請負耕作や、アメリカ並みの農業の大規模化を真似ているのだろうが、日本的なものを否定して良いのかどうか、今度の参議院選挙を注視している。


(車窓よりの故郷遠望)

農家の「実質収入」は「40年前の30分の1」


「農は国の基本」と言われたのは多分40―50年前までの事であろうか、知人と農業の昔と今を語り合って判ったことは今や大多数の農家は「極貧」の「棄民」に陥っているのではないか、という率直な疑問と問題意識だった。


知人によれば、つい20年程前の食管法があった時の米の買い上げ価格は一俵当り(60キロ入り)4万5千円だったと言う、米が自由化されて現在はそれが一俵1万2千円と、約3分の1に低落している。


1町歩当りの米の収量は、今も昔も大体60キロ入りで80俵(4800キロ)と言われ、20―40年前の当時の収入は360万円だった、それが現在は全収入が96万円である、2町歩農家でさえも、昔は720万円、現在は192万円にしかならない。


ところでこの約40年間で一般家庭及び農家の生活実感はどのように変ったのであろうか、40年前(妻の当時の家計簿から推測すると)インフレで貨幣価値は10分の1、(物価は約10倍)となった。


(政府発表の消費者物価上昇率は昭和49年だけでも23.7%、前後の各年度は、毎年十数パーセントの上昇、当時2万円の生活費は今や15―20万となっている)。


もしこれを基準にすると米作農家の所得は「所得が3分の1」に減り、「生活費は10倍になった」と言える、その「開きは何と30倍」、農家は「自由化」で「不自由」「極貧」になったと言う事ではないだろうか。

「悲惨な農村」の現状


地域格差も実に深刻な問題だ。先日、所用で久し振りに郷里北陸を訪ねた、元々この地域は稲作が主産業で「豊かな米どころ」であった。「であった」と、「過去完了形」で言うのは、現在は全く様変わりしていたからである。


たまたま知り合いに「近年の農村事情」を聞くことが出来た。この地域は、昔は農家の平均耕作地面積が1町歩(3000坪)と言われた純農村部であるが、現在は悲惨な状況で、農業専業者は殆ど居ない、閑散としている、と言う。


農業ではとても生計が成り立たないので若者をはじめ家族は他所で給料を稼いで来て、ようやくその給料(収入)で家計が成り立っている、だから家に居るのはお年寄りばかりで働き手の「若者」は殆ど都会に出てしまって家には居ない、とも。