「浦島太郎の心境」


そんな憂鬱な事を考え憂いるより多少「目先を変えてみよう」と妻と話し合って、過去自分達が歩いて来た道を久々に実際にこの足で歩いてみる事とした、。先般金婚式を迎えたのを機に、自分達親子の過去の幾星霜を歩いてみる事としたのだ。


先ず最初に身近な東京都内を歩いてみる事にした、上京当時は未だ独身時代で敗戦後未だ数年しか経っていなかった。都心の主要通りはバラックで商をやっていたが一歩裏通りに入ると瓦礫が山積みで戦災の被害も生々しかった。


交通機関の「省線」と称されなじまれていた国鉄路線も戦後いち早く回復しその頃には復興し山手線・中央線・総武線など輸送の主役は健在となっていた。自分は代々木か、新宿から神田へ通勤していたのだが年々混雑が酷くなって「尻押し」も出てきた。

「心の旅路」


自分自身の怠慢で、このホームページも途切れ途切れとなった。色々個人的な諸事情もあったとは言え、要は「不精者」になったということ、全くプライベートな事でありながらもわが身の不明を恥じるのみである。


ただ、多少の言い訳になるが、正直な気持を吐露すれば最近の世の中のありように絶望感に似た気持を覚え、政治の現状と近年のマスコミ報道に気の滅入る不条理さを感じ、ペンを執るのさえ気が重いのも事実である。

東京の変貌


銀行の帰路日本橋から15番の都電を利用して早稲田に通った、神田YMCAの前を通り飯田橋面影橋等を通り40分前後で早稲田大学に到着したものだ。その15番の都電の延長線上に三ノ輪橋までの路線のみが今残っている唯一の都電である。


さて、最初の単身時代は30―40人の寮だった、新宿に近い寮の周辺でさえも表から一歩中に入るとまだ戦災のくすぶっている感じで、今の京王新線は当時は幅10メートルほどの川だった、それをを掘り下げて地下鉄線としたものだがその川べりを毎日歩いたものだった。


甲州街道左側にそんな大きくない「文化服装学院」があったのが、今は実に巨大な校舎で東京都庁にも負けないくらいだ、その服装学院の裏手に独身寮があったのだが淋しい事にマンション開発会社に買われて今は10数階の瀟洒なマンションに変っていた。


上京当時は新宿西口には「屋台」や「テキヤ」「古着屋」等がが軒を並べて威勢良く客を呼び込み喧騒と異臭にまみれて、それでもとてつもなく活気がみなぎっていた。当時は一人残らず誰しも生き伸びるのに懸命だった。


新宿には大きなガスタンク以外には大きな建物はなく、都内の何処からも富士山が姿を見せてくれたものだ、西口入り口まで甲州街道をコロコロとグリーン色の京王電車が乗り入れ乗降の段差も板張りだった。


敗戦直後はビルと言えるってモノは少なかったのが今は全く様変わりで大小さまざまなビルが立ち並び各街道中央には高速道路が不恰好な橋げたを延々とくねらせ周辺に排気ガスを吐き出し住民汚染の役割を果たしている。


昔の新宿西口には大きな浄水場があったし、直径20―30メーターのガスタンクがあったものだが今は高層ビル街と変ってしまって富士山を望むべくもない。妻とは時折新宿に出て当時の事を話題にするが別世界の話のように聞こえるようだ。


(写真は淋しいお米屋さん閉店広告=東京世田谷・赤堤にて)

生真面目「警察官」


例えば警察関係者には共通して警察独特の「生真面目さ」と「正邪を峻別しようとする正義観」が強制される、それらは司法・階級社会の中で日常的に教育され醸成される。その分、彼等には私生活ではプレッシャーも強いと思われる。


最近、大きく話題になった事件で、都内交番勤務の「巡査部長」が交際中の女性宅で彼女を射ち、自分も拳銃自殺した事件があった。「取締りの役にあった人が起した事件」と言う事でマスコミの絶好の話題となった。


日頃「勤勉実直」さを強いられている警察官も元々が「人の子」、女性に関心を持ち好意以上のものを持って当然と思う、まして相手が水商売であれば男性の気を引く為、手練手管の経緯があって当然だろう、と思われる。


むしろ勤勉実直、「警察官らしく生きねばならない」職場の環境下とプレッシャーの中にあって「40歳独身男性」に一瞬の悪魔風が吹いたと言うのが実態ではなかったろうか。


単純に給料の多寡によって勤め先を選ぶケースも多いようだが、社会人への入り口で夫々の人間の人格形成が左右されるとすると「職業選択の重要性」には粛然たらざるを得ない。



(写真は真夏での子供の水浴び一スナップ=都内)

「制服・制帽」社会


一口に「役人」と言っても、国家公務員・地方公務員や職種によって様々、事務系と技術系で多少肌合いが違うとは言え、公務員としての使命感、倫理観・奉仕精神・用心深さ等では共通しているように思う。


特に「制服・制帽組」―制服を身に付け、制帽(一般的にそこには階級による差別票がある)―は格別「規律が厳しく」「生真面目」で、「勤勉実直」さが身について来るように思う。


昔は「制服・制帽組」の代表的職業として軍隊があったが、現在も警察や鉄道事業者には「命令」・「服従」の階級社会があり、この制服世界では倫理観と絶対服従の精神が植え付けられる。

「職業」と「らしさ」

okamakoto2007-09-15



人生を長く生きてきたせいか、初対面の方でも、一言二言言葉を交わしただけで大体その人の「職業と人となり」が見当つくように感じる、夫々の人には自ずと職業人としての過去の雰囲気が身に付いているように思うからだ。


役人は「役人らしく」、「職人」は「職人らしく」、「商人は商人らしく」「不動産屋」は「不動産屋らしく」、銀行員は「銀行員らしく」のように。それら「らしさ」は夫々社会人になってから身に付いたものだ。


例えその人が何度か転職を繰り返していても、最初の職業の体臭は簡単には抜けないように思える、その事を考えてみると各人の最初に就く職業と言うのは、実に「恐ろしい」ほどのものである。