2005-11-01から1ヶ月間の記事一覧

日米安保改定

最初の「日米安全保障条約」は昭和26年9月4日、サンフランシスコでの講和条約締結時に時の吉田首相が調印したもので、アメリカ軍の日本での駐留を認める内容のものだった。 石橋内閣の後を受けた岸氏は就任後早速渡米し、アイゼンハワー大統領と会談し「日米…

「たなぼた」首相

その後を継いだのが石橋湛山氏で、人柄も誠実・潔白・恬淡で国民的人気も高く大いに期待もされていた。 然し、残念ながら石橋湛山氏は就任直後自らが病気(ガン)に犯されている事を告白し、僅かに3ヶ月間で首相の職を辞任すると表明したのであった。 後任に…

「A級戦犯」復活

開戦時の東条英機内閣で戦時中核閣僚だった岸信介氏が、A級戦犯容疑者でGHQに逮捕され、3年後釈放されてから僅かに7年で国のトップ「首相」の地位に上りつめた。 これは、幾ら敗戦後の混乱期で、戦時中の主要指導者が「公職追放」で払底していた時期とは…

GHQとの取引説

昨日も記したが敗戦直後のGHQマッカーサー占領軍指令で約3年間、岸氏は東条英機等と共にA級戦犯の指定を受け、巣鴨拘置所に拘留されていたのだが、東條等7人の死刑執行の翌日に釈放されている。 国際情勢の急変があったにしろ、又、日本の幾つかの国内政…

岸信介氏の復活

「日本を悪くした人物」として先ず第一番に挙げねばならないのは,敗戦後GHQからA級戦犯に指名され逮捕されなら,7年後には首相となり「日米安保条約」を強行した「岸信介氏」である。 日本が戦後60年経ってもアメリカの実質的な占領下に置かれ、その事を…

戦争成金「児玉機関」

A級戦犯(容疑)で逮捕され、釈放された「満州人脈」である。先ず右翼の大物「児玉誉士夫」を見る。児玉は戦時中、参謀本部、外務省の嘱託となり、上海で「児玉機関」を作り日本軍の物資調達役を引受け膨大な私財を築いた。 終戦後、児玉機関が得た莫大な資…

アメリカの「ご都合主義」

勿論「極東軍事裁判」が「人類の正義」の立場で行われたと言うつもりは毛頭ない、むしろ、そもそも日本に「戦争を決意させた」のは一体どの国だったのか。 或いは、全く「無抵抗な密集都市に絨毯爆撃」して「大量殺戮した罪」とか、「非人道的原爆」を落とし…

「満州人脈」の釈放

その一方で、7名の死刑執行翌日―12月24日に、A級戦犯容疑で拘置中の、岸信介、児玉誉士夫・笹川良一等「満州人脈」は釈放されたのである。 終身刑16名、有期刑2名、(松岡洋石・東郷茂徳は判決前に獄中で病死した)。残りの受刑者は何れも後日に釈放されて…

A級戦犯

満州事変の発端となった「柳条湖事件」(昭和6・9・18)も関東軍が「満州占領計画」の口実として仕組んだもので、その背後には「満鉄」人脈の策謀があった。 「満鉄」は従って日本軍の出先である「関東軍の謀略機関」といって良い存在だった。その関東軍を…

「満鉄人脈」

昭和初年から日本の国力と財力を注入してきた「満州」からも「総てを残して」、撤収し中国に帰属させねばならなかった。 満州には日本の国策会社「南満州鉄道」、略称「満鉄」があった、昭和6年の「満州事変」更には「ノモンハン事件」「日中戦争」には「関…

敗戦前後

松岡外交(日米開戦時の外相松岡洋介)はヨーロッパ戦線で、同盟国ヒトラー・ドイツが勝利すると確信し日本外交を「日米戦争」の方向に誘導した。(この事は既に3月24日の「開戦決定の瞬間」「松岡洋介外相の人物像」で述べた。 日本は既に開戦3ヶ月前、東條…