2006-01-01から1年間の記事一覧

隣国との関係

これは国と国との関係でも云える、最近の事例では日本と隣国中国や北朝鮮との関係だ。地理的にこれらの国々とは歴史的に関係も深く将来とも「孫子の代」どころか、「未来永劫」に付き合っていかねばならない関係にある。 ところが最も距離的に近いこれらの国…

不信の連鎖が憎悪に

隣同士が、信頼し合ってお互い仲良く付き合って行く事は大切な事である、諺に「遠い親戚より近い他人」と言うように、突発的自然災害時等力になり得るのは、遠くの親戚よりも近隣の人達である。 ところが、実際には人間は感情の動物で、必ずしも理屈通りうま…

「若い人達」への責務

NHK特番「アジアの中の日本」で、若い女の人達がテレビで、「私達の世代が戦争した訳でもないし責任もないわ」と、あっけらかんと語ったのを耳にした。 それを聞いて考え込んでいる、昭和一桁生れの自分だが、正直言えば「戦争を起こした明治・大正生れの…

「戦争の愚かさ」を伝える役割

最近の幾つかのNHK特番報道には教えられることも多く、「NHKの存在感」を心強く感じている、「情報化時代」で、民意はマスコミによって作られるといってよい、マスコミといっても、その中でもテレビの影響力が圧倒的に強力である。 民放局は視聴率競争…

人類に未来はあるか

ところがどうだろう、人間同士の殺し合いのために人間が飛行機やミサイルを使い、原爆や水爆を用い、電子工学を駆使して地球の反対側の都市や人間の集団を画面上ボタン一つで殺戮してしまうまでに至った。 これらの作用で地球環境は急激に変化しつつある、大…

化学進歩と戦争

化学の進歩は、地下の石油を抜き取り燃料として使い、車を動かし、ミサイルを発射させ、原子力爆弾で大量殺戮を行い人間の活動範囲を広げ戦争の様相をも一変させてしまった。 人間の「物欲」と「征服欲」は、限界がないようである、地球に飽き足りず、宇宙に…

奇蹟の地球、及び「人類誕生」

宇宙は、今から約150億年前にビッグバン(宇宙大爆発)で生成され、私たちの暮らす地球と、地球に人類(生命)を生み出してくれた太陽系は、今から約46億年前に誕生したと云う。 高温のガス状から徐々に収縮し、海ができ、水や空気の生成途上で、初期の…

環境破壊の元凶「戦争」

人間は火を使い、弓矢や釣りを覚えて動物や、植物を餌として動植物界で、かっての「恐竜」の如き圧倒的な地位を築いて来ている。 人間は地中に埋蔵されていた石炭・石油等の化石燃料を大量に掘り出して、それを燃焼させて文明を謳歌してきた。 然し、その事…

人類の軌跡

この地球が誕生したのが46億年前、幾多の天体間の衝突変動等を経て、9億年前に偶然多細胞生命が誕生し、それが進化を遂げて類人猿が400万年前、さらに10万年前に人間が出現した。世界の人口は今や65億人に達している。 6500年前に起きた恐竜絶滅が「急激な地…

恐竜突如絶滅

ところが,不思議な事に白亜紀初期、今から約6500万年前に恐竜は突如絶滅する、地球上を我物顔で独歩していた恐竜が突然一頭もいなくなってしまったのである。 その不思議さに、今回、自分も大変興味を持って見学に行って来たのだが、展示品からは残念なが…

恐竜博に思う

千葉・幕張で開催されている「世界の巨大恐竜博2006」を見てきた。広大なメッセ敷地の中にある展示会場には、世界各地から出土した大小様々の恐竜の骨格が展示されていて、その種類の多いのには驚いた。 恐竜はこの地球上に今から2億3千万年前「三畳紀後半…

「真夏の夢」

自分は、今回、アメリカで公開された天皇の外交発言等を、敗戦後61年目の夏の暑い日差しの中で読みながら、複雑な気持ちを禁じ得ないでいる。 先日明らかになったように、「米中央情報局(CIA)が50年代から60年代にかけ、日本の「複数の親米的、保守的…

表に出難い「内奏話」

天皇の国内での政治的発言は主に大臣の天皇への「政務報告」−「内奏時」に行なわれるようだ、73年5月の増原防衛庁長官が四次防内奏の際に「日本の自衛隊がそんなに大きいとは思えない、しっかりやってほしい」と述べている。 又、中曽根首相が「日本列島不沈…

園遊会でのメッセージ

1962年10月30日の「園遊会」での天皇からの在日米軍司令官スマートへのメッセージも象徴的である。(あらかじめ皇室職員から当日天皇が話をする希望がある旨伝えられていた、と言う) 天皇は、在日米軍司令官スマートへ印象に残る真剣な態度で、「日本に於ける…

日米安保体制と「天皇」の役割

1958年10月6日ニール・H・マケルロイ国防長官が来日し、天皇と面会している、アメリカ国立公文書館にはその時の会見記録も保存されている。 それによれば、一通りの挨拶が終わった後、天皇から「強力なソ連の軍事力に鑑みて、北海道の脆弱性に懸念を持っている…

天皇の「メッセージ」

憲法発布の翌年、1947年(昭和22年)アメリカに向け「天皇メッセージ」が発せられている、その中で「アメリカに沖縄を軍事基地として50年ないしそれ以上貸与する」とある(「世界」8月号254ページ)。 敗戦4年後に当る49年11月の会談で天皇は「ソ連による共…

戦後の昭和天皇

連合国軍総司令部GHQ最高指揮官としてマッカーサーが厚木に降り立ったのが敗戦後約2週間後の8月30日だった。 天皇が日比谷皇居真正面に位置する第一生命ビルGHQにマッカーサーを訪ね初会見したのがマッカーサー到着後約1ヵ月の9月27日であった。 初回…

残念な事「けじめ」

この内容に就いては次回に譲るとして、今日は先ず自分の天皇への思いから記しておきたい、色々資料を読み解く内に「トップの孤独」さに思いを致す。戦前戦後を通じ最高責任者としての天皇の苦悩のほどが偲ばれる。 多分開戦に際し天皇も勝利には自信はなかっ…

天皇の立場

昨日の日記で「天皇独白録」の一部を転載した、これは日米開戦までの記録だが、最近アメリカの機密外交文書の一部が「機密扱い」を解除され、敗戦後の昭和天皇の発言が明らかになり、今までベールに包まれていた「戦後の謎」が次第に明らかになって来ている…

灼熱の敗戦日

8月(葉月)に入った、毎年この月になると、あの抜けるような蒼さの15日を想起する。あの日、「敗戦」と知った時の衝撃は、自分だけでなく、戦中世代なら「人生最後の瞬間まで」脳裏を離れる事はないだろう。 あの日から実に61年目も経つ。今更ながら自分の…

敗戦決意

「沖縄戦の敗因は陸海軍作戦の不一致にあると思う、沖縄は本当は3個師団で守るべき所で、私も心配した。梅津(参謀総長)は始め2個師団で充分と思っていたが、後で兵力不足を感じ1個師団を増援に送りたいと思ったときには既に輸送の方法が立たぬと言う状況であ…

戦争指導

「最初米英が「アフリカ」を攻略しよーとする計画の有った時、私は独逸がソビエト戦に重点を置くよりも寧ろ「アフリカ」に重点を置くように勧めたらどうかと、東條に注意を与えた事がある。之を先方に通じたかどうか、大島(駐独大使)の事だからはっきり解らぬ…

開戦不可避

「翌日(1941年11月30日)、高松宮が昨日の様子を聞きに来た、そして「今この機会を失すると、戦争は到底抑え切れぬ。12月1日から海軍は戦闘展開をするが、既にそうなったら抑える事は出来ない」との意見を述べた。」 「戦争の見通しについても話し合ったが、宮の…

東條内閣任命の経緯

「近衛の手記に、東久邇宮を総理大臣に奉戴云々の記事があるが、之は陸軍が推薦したもので、私は皇族が政治の責任者になる事は良くないと思った。」 「尤も、軍が絶対的に平和保持の方針で進むと言うなら、必ずしも拒否すべきではないと考え、木戸をして軍に相談…

対米開戦に際して

「開戦の際、東條内閣の決定を裁可したのは立憲政治下における立憲君主としてやむを得ぬ事である。もしこれが好む所は裁可し、好まざる所は裁可しないとすれば、之は専制政治と何ら異なる所がない。」 「終戦の際は、然しながら、之とは事情を異にし、廟議が…

日本の「戦陣訓」

日本軍には「戦陣訓」と言うのがあった、天皇から「軍人に賜りたる勅諭」から具体的に「行動基準」としてまとめられたのが「戦陣訓」で、第8章には「名を惜しむ」がある。意訳すると下記のようになる。 「常に郷里の人達や親戚、家族の名誉を思い、その人達…

戦争体験記

実は、最近幾つかの本を読んでいる、「徹底検証―昭和天皇独白録」<大月書店>、「知られざる日米安保体制の守護者昭和天皇と冷戦」<雑誌「世界8月号」>、「私の戦争体験記」谷沢芳男氏<山梨県笛吹市春日居郷土館出版>等である。 先ず、谷沢芳男氏の「召…

「昭和天皇」と戦争

昭和最大の悲劇は「太平洋戦争」であり、その「敗戦」であった、これは直接・間接に戦争に参加した我々昭和世代だけではなく、60年経った今日でも日本人の心の中に大きな「後遺症」を占め、わだかまりを与えているように思う。 それは単に現実の国際問題や、…

岸さんのDNA

これらの事に「政治権力」がどのように関わり、「権力と闇の勢力」がどう関わり、更に「アメリカCIAと政治」がどのような関係があったかは解らない、然し日本に正常な政権交代の機会が失われ、それを機にその後の日本の発展が歪(いびつ)になった事だけ…

「アメリカCIA」の関与

ところで、つい先日、本年7月20日付け新聞報道(日経・朝日)によれば、「米中央情報局(CIA)が、50年代から60年代にかけ、日本の「複数の親米的、保守的な政治家」に資金援助や選挙支援する一方、左派勢力の分断を狙った工作を実施していた」と公式に認め…